この「搶(中国語で奪うという意味)」はお供え物を奪い合うことを表し、年々ケンカやケガが増えていました。そこで、光緒5年にはある人が「爬孤棚」という競争でお供え物を奪い合うことを思いつき、今日まで続けられています。東港の王船祭と同様、三年に一度行われ、恒春福德宮広場で開催されます。お盆の法会は通常午後に行われ、道士は普渡公という神様に搶孤や爬孤棚の開催時間についてお伺いを立てます。通常、搶孤が始まるのは8時くらいです。村人は群れをなして柱に昇り、お供え物を奪い合います。イベントが最高潮を迎えるのは夜10時くらい。
搶孤棚というのは高さ12メートルの木柱を4本組み合わせたもので、柱の表面は牛の脂を塗っており、昇るのを難しくしています。当初、参加チームは恒春鎮山脚里、城西里、城北里、城南里の人々で結成されていました。各チームの人数は12~15人くらいで、銅鑼が鳴ると、4チームが牛の油をたっぷりと塗った柱に昇っていき、柱の上の旗を奪います。牛の油で滑るため、柱の上に昇って旗を取るのにはテクニックが必要です。今日では恒春半島の「搶孤」は台湾中元節の重要なイベントとなっています。地元の人たちが自分たちでチームを結成する以外にも、他の県や市の人々もチームを結成して、競争に参加します。毎年、中元節の夜になると、大勢の人たちが盛大な祭りを見るためにやってきます。